「弱い犬ほどよく吠える」という諺は誰でも一度は聞いたことがあるでしょう。
しかし、その意味を痛感している人はあまり多くはありません。
喧嘩をして負けそうな人が、たくさん言葉を連ねるシーンぐらいしかイメージできない人もいます。
たしかに、それもこの諺が当てはまる事例の一つかもしれません。
しかし、言葉どおりではなく抽象化して意味を考えると、もっと多様な事例に当てはまるものだと気付きます。
ポイントになるのは吠えるという単語です。
この単語のイメージから、おおくの人は口から言葉を発することを意味していると考えてしまいます。
しかし言葉を発すること以外にも枠組みを広げてみると、この諺の持つ深みを理解できるでしょう。
吠えるという単語は、他人に対する攻撃的なアクションのすべてを指すものとして使われています。
たとえば、暴力を振るってしまう人にも該当するということです。
口喧嘩をしているときに、言い返せなくて腹が立ってしまうケースがあります。
そのときに、感情に任せて相手を殴ってしまう人もいるでしょう。
そうなったら、殴った側こそが弱い犬に他なりません。
この諺に対して誤った認識を持っていると、口喧嘩の強い人のほうが弱い犬だと勘違いしてしまいます。
強さを腕力や暴力性と解釈するのは大間違いです。
諺が意味する真実と正反対の解釈をすることになります。
他の例としては、学校などで行われるいじめの問題も挙げられます。
いじめられている人が必死に泣き叫んだら、その人のことを弱い犬だと見なしてしまいがちです。
しかし本当に弱い犬なのは、いじめをしている人たちに他なりません。
本当に強い人は他人を不当に傷つけたりはしないからです。
自分の中に何らかの弱みがあり、それを認めたくないから他人を攻撃して優越感を得ようとします。
つまり自分の問題を自己完結できない未熟な人物であり、弱すぎる犬といっても過言ではありません。
以上の例を知るだけでも、諺の本当の意味が分かります。
今後は間違った使い方をしないように注意しましょう。
とはいえ無理をして使う必要はなく、自分への戒めとして意識するだけでも価値があります。
気持ちが昂ったときに、自分が弱い犬になっていないかチェックするのです。
もし感情に任せて相手を攻撃しそうになったら、おびえながら吠えている犬を頭の中に描いてみましょう。
必死に自分のことを守ろうとして、強くみせるために吠えている様子をイメージしてみてください。
続けていると何だか滑稽に感じてくるはずです。
その滑稽な犬こそが自分であることを自覚しましょう。
そうすれば自分の行おうとしていた過ちに気付ける可能性が高いです。
もし気付いたら、いったん深呼吸をして落ち着いて状況を整理します。
きっともっと優れた方法を見つけられます。
これを習慣にできれば、少なくとも他人を無駄に傷つけるような人生を歩まずに済むでしょう。
つまり、この諺は過ちを未然に防ぐ力を持っています。